「知識」を増やすとあらゆることの「解像度」が上がって人生もっと楽しくなるという当たり前の話
「知識」を増やすとあらゆることの「解像度」が上がって人生もっと楽しくなるというただただ当たり前のことを当たり前のように感じたという話。
例えば....
川端康成の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という「雪国」の有名すぎる一節にいろいろな人が影響を受けお話、物語を書いていると思うんだけど、
この物語(一節)を知識として持っていた場合は、
この人は「雪国」に影響を受けてこのお話を書いたんだなという作者に対する解像度が上がる...気がする
逆に知らなかった場合は、
ただその物語をその物語として受け取るしかない
この差は小さいかもしれないけれど、楽しめる量は圧倒的に違うと思うんです。
最近これを痛感したのは、
普段小説なんて読みもしないのに
『十角館の殺人』というミステリ界隈では有名らしい小説を読んでいたのですが、
この小説は『そして誰もいなくなった』という小説(めっちゃ有名らしい)に影響を受けて書かれた作品らしいんですね。
でも私はミステリのこともこの小説のことも全く知らないわけです。
なので『そして誰もいなくなった』を知っている人と知らない私ではこの小説から受け取れる情報は全然違うんだろうなと痛感したわけです。
何がいいたいかというと何も知らなくても楽しめることはあるけど
知識がある人が楽しめる量には到底及ばないから学ぶって大事だなって
自分に言い聞かせたかったって話
....知らないことによって楽しめることもあるよね。
でもすでに知っている人はその楽しみをもう味わったあとなんだよね。
P.S.
今回は同じ分野内での話を書いたけど、
別界隈の知識があることで楽しめるということもある....気がする